仕事をしていると、難しい用語を使う人は、あまり咀嚼力がない人ではないかと感じることがあります。まれに、日常使っているような言葉で、妙にわかりやすい言い方で、最新理論を語ってしまう人に出会うと、この人は、すごい人、頭がいいなあと思うでしょう。

ビジネスで成功し続けた社長さんが、まさにそういう人でした。難しい言葉で説明しちゃいけないよ、もっとわかる言葉にならないと、それは本物じゃないからね…と。そんな言い方をしていました。本当にわかったなら、簡単な言葉にできるということです。

もっと高い品質を目ざそうという話があったとき、それを簡単に説明できないといけないね…とのこと。高い品質とは、どんなものか、どうやって達成するのか、簡潔に的確に、わかりやすく説明するのは、至難の業です。これがこの人のトレーニング方法でした。

  

生成AIが要約文を作れるようになって、先日、調査した人がいました。各人に要約文を作ってもらったそうです。短文で簡潔な要約文が作れる人は、意外に少なかったということでした。問題は、生成AIとの比較です。どのくらいの人が、合格点をつけたでしょうか。

まだ正確な数字とは言えませんが、いささか驚く結果が出てきている様子です。時間をかけて要約を作った人たちの半分以上が、生成AIの作った要約文よりも劣っているのではないかという結果でした。明らかに生成AIよりも上の人は、1割程度とのこと。

問題はおそらく、要約の仕方を習っていないこと、さらに、そもそもの読解力に問題が生じているということなのでしょう。文章を読む量が少なすぎると、読解力はつきません。普段から活字をきっちり読まないと、生成AIを使いこなすことさえできなくなります。

  

読み書くというのは、人間の基本的なスキルです。身につけていなくては社会活動に支障が出てくるものと言って間違いありません。人と人とのコミュニケーションのツールとして、言葉が不可欠なものです。なかでも、文章にすることには特別な意味があります。

文章にするということは、思考を固定化することです。書いたものは、時間がたっても変わりません。何度も同じものが読めます。大勢の人に、読んでもらうことも可能です。記述したときの、その人の思考が表に出されて、それが固定化されることになります。

このとき大切なのは、内容とその記述の形式です。記述されているからこそ、私たちは、その内容や形式を検証することができます。「文章語にして語れ」と作家の司馬遼太郎はかつて記していました。まさに、記述すること、文章語にすることが大切です。

  

近代的な産業社会は分業を大切な方法としてきました。仕事をするときに、たった一人では限界がありますから、この分野はどの人たち、この分野はこの人たちと、分業が成立します。各分野でトレーニングを積めば、その人たちにはノウハウが蓄積されるはずです。

各分野ごとに、強みを持った領域を担当する人たち、あるいは集団ができてきます。強みを組み合わせるのですから、一人で全体をなすよりも有利なはずです。多くの場合、いまでも有利な点が多々あります。しかし必ず有利とは言えません。全体の統合が大切です。

ベルトコンベヤー方式よりも、セル方式の方が品質の良いものができることがあります。分業を進めるほど良くなっていくわけではありません。役割分担をどうしたらよいのか、ビジネスでは大切なポイントです。全体を把握して、意識的な分業が必要になります。

  

日本では、活字離れが言われていますし、実際に本の出版点数も減っています。減り方はなだらかになっているようですが、増えてはいません。こうした出版の減少は、どうやら先進国では日本だけのようです。そう遠くないうちに反転するかもしれません。

欧米では、遅くとも2019年までには、出版点数の減少は解消されています。今後は、もう待ったなしの状況になっていますから、日本でも、リーダーを中心に、紙の本を読みだすはずです。そうでなくては困ります。読み書きは基本中の基本となる能力です。

生成AIがかなりのレベルの文章を作れるようになってきました。要約を作ることも出来ます。リーダーが、生成AIの作る要約よりも拙いものを作るようでは困ります。リーダーの基礎学力が問われるようになるのです。普段から本を読むのは、当然でしょう。

  

作業には、たぶん答があるのです。こうでなくてはいけないという、だいたいの決まりがあります。その水準を超えていれば、問題ありません。あとは早く量をこなせるかが問題です。これは創造するときの作用とは別の領域のものになります。

作業は創造ではありません。しかし、創造をするときに、必要なものになることがあります。創造するときの、その準備として、いくつかの作業が必要になることがあるということでしょう。だから、何のためにその作業がなされるのかが問題です。

もし目的が創造することにあるのなら、その目的を達成するために、どんな作業が必要なのでしょうか。本当に必要なものなのか、その見極めが大切です。私たちは意外なほど、ただ意味もなく作業をしていることがあります。どんな目的か、確認が必要です。

  

文章を書くのに苦労している人がいます。何を苦労するのでしょうか。聞いていると、たいていの場合、二つに収斂していきます。「何を書いたらよいのかわからない」と「どう書いたらよいのかわからない」。結局は、この二つになるのが普通です。

両者の関係は、どうでしょうか。まず、何を書こうとするのかが決まり、それをどう書こうかと考えていく順番のはずです。したがって、「何を書いたらよいのかわからない」ということを解決しないと、「どう書いたらよいのかわからない」が解決しません。

まずは、何を書くかが問題です。ビジネス人の場合、ビジネスのことを書くことになります。そのときに必要となる標準的な考え方を身につけなくてはなりません。ビジネスはマネジメントの観点から考えるのが標準です。マネジメントの理解が基礎になります。

  

組織で、共通の方法で何かをする場合、ルールを決めることになります。しかし、たいていの場合、ルールの提示で終わりです。本当に守れるものかを冷静に考えなくては、困ったことになります。無理なく守れる仕組みを作っておくことが大切です。

逆にいうと、仕組みがあって、それに沿っていけば、ひとりでにルールが守られていくような仕組みになっていれば、負担感が軽減されます。よい仕組みが作られるならば、作業効率は間違いなく上がります。こうした仕組みづくりが遅れがちなのです。

例えば、必要事項をすべて記述しないといけない場合、定型書類の項目をすべて埋めたなら、必要事項が満たされるフォーマットになっていれば、確認作業が楽です。電子化したものなら、機械的にチェックもしてくれます。こうした工夫の余地がありそうです。

  

生成AIを使って、業務の効率化を図りたいというリーダーがたくさんいます。会社の幹部クラスになると、技術的なことが分からないけれども、これはただ事ではないという感覚を持つ人が少なくありません。そうした感覚は、しばしば当たってきたものです。

生成AIの利用はまちがいなく拡大するでしょう。どこかで私たちは、生成AIの恩恵にあずかることになるはずです。肉体的な作業が機械に置き換えられたように、知的な作業が生成AIに置き換えられます。この流れがいま起きていて、おそらく今後も続くはずです。

組織全体を見るべきリーダーは、何が確実に使えるのか、生成AIの得意技を見つけて、それを自分たちの業務に引き寄せて考える視点が必要になります。業務を効率化し、高度化するのに、本当に使える生成AIの機能は、どんなものなのか、その見極めが大切です。

  

ある分野で飛び抜けた学者が、文科系でも理科系でも必ず、少数ながらいるものです。そして、いずれそうなるだろうという若手も、その分野の研究者のなかでは、たいてい知られています。若いうちから、同僚たちに一目を置かれる存在になっているのです。

そういう若手の学者についての話を聞いたことがあります。文科系の学問の場合、飛び抜けた先行の学者から学ぶのが基本のようです。直接と言うより、その学者の書いた基本書から学ぶことになります。そうやって学んだ側が、優れた学者になった話でした。

先生の名著を、繰り返し読んだそうです。ところが面白いことに、学んだ本と、その人の主張がかなり違うとのこと。思考は同じでも、その表れ方が大きく違いました。追いつこうとして読んでいるうち、かえって違う観点が思いついたようです。興味ある話でした。